当麻曼荼羅図

浄土宗 光明山悟真院 筑前博多 善導寺 当麻曼荼羅図 当麻曼荼羅とは、奈良・当麻寺にある藕糸織の四メートル四方もある観無量寿経変相図の通称で、奈良時代宝亀年中の中将姫感得の伝説は有名です。
 善導大師の著「観経四帖疏」を図絵したこの曼荼羅図は、鎌倉時代からの浄土教隆盛に伴い盛んに写されてきました。
 構図は内陣・外陣に分けられ、内陣中央には、阿弥陀を中心に宝楼殿をめぐらし、宝池、宝樹につつまれ、舞楽を演じ、往生人を迎える極楽浄土の荘麗なさまが描かれています。
 外陣には、向かって左に観経六縁(阿闍世王の説話)を描き、右縁は右上から下に、釈迦が韋堤希夫人に極楽浄土の荘厳を観ずる方法を教えるもので、善導大師の観経四帖疏の特色を示しています。そして下縁に九品の往生を描いています。
 まさに浄土教絵画の渕源であり、総集でもあります。

十王図

浄土宗 光明山悟真院 筑前博多 善導寺 十王図浄土宗では、極楽の荘厳を説き、欣求浄土を勧めるとともに、地獄の苦しみを解いています。その極楽の裁判官が十王です。当時の十王図は、画幅の隅に、「慶元府車橋陸信忠筆」とあり、南宋時代から元時代初期に折江省寧波(ニンポー)あたりで盛んにつくられてもたらされたものです。陸信忠の款記のあるものはわが国で八件が知られていますが画質に精粗の差があり、工房的制作を思わせます。当時の十王図がもつ重要な意義は、応安六年(1373)、鞍手郡若宮御領武恒方平山寺での修覆記録があり、日本にもたらされた時期についてのひとつの論拠となっていることです。善導寺への施入は三度目の修理の寛正三年(1462)の後、いつごろかということになるが、旧箱の延宝九年の箱書きに冏誉安置之とあり、寛正三年の修理後まもなくと思われます。

法然上人像

浄土宗 光明山悟真院 筑前博多 善導寺 法然上人像浄土宗関係の室町時代絵画で、浄土教肖像画ともいえる円光大師法然上人像があります。円光大師像は、墨線に墨隅の単色画法で、寄進状があり寄進者と時期についても考証がまたれています。
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